🗐 ベイ・シティー・ローラーズ BCR 私の想い出 >>ほろ苦い青春がいっぱい 💝(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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Paddyさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

今年、フォーリーブスが24年ぶりに復活しました。
小・中学生の頃彼らのファンだった私は当時を振り返る事になり、
同年齢の(元)女の子達の変わらぬ気持ちを知りました。
それなら、高校生~全青春を懸けたBCRは?と思い、ここに辿り着いたのです。
数年前からTVでちらほら耳にするようになり、「あぁ、私達の年代が番組を作る立場にいるんだぁ~。」と、感動していました。
私はWoodyファンです。洋書コーナーで、雑誌を見るのが好きで、友達と毎週通っていました。

「エルトンジョン」「キッス」「ローリングストーンズ」etc...
そこで二人ともハマッテしまったのが、タータンチェックに身を包んだ彼らだったのです。
毎週交代で雑誌を買い、アルバイトをして、来日の時には、ホテルに泊まり新幹線で移動し、タクシーで追いかける。
という状態でした。衣装はもちろん、Woodyコス!黄色のタータンチェックの生地を探して、
手作りしました。(当時、なかなか無かったのです)親となった今は、
考え物ですが、やっぱりそれが出来てよかったと思っています。
♪It's crazy but it's truth...ですよね。
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ようこさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

高校時代は、武道館に何回行ったことでしょう。
コンサートの日、たまたま科学技術館の前の空いている道で開演を待っていて、
武道館まで一本道だし、空いているこちら側からメンバーは、会場入りしたりして・・・
って話していました。なんと、そのとうりだったのです。
ハイヤーで会場入りするメンバーを20センチくらいで毎回会うことができて私たちグループの秘密でした。

レスリーは色白でとてもきれいな肌だったのを覚えています。
でも、そのうちだんだん皆さんが会場入りのコースに気が付いてどんどん人数が多くなりました。 
コンサートでは、当時よく言われた失神とまでいかなくても、
貧血状態になってしまい、係りの方に運ばれて、ゴザに寝かされ、
牛乳を飲ませていただいたのも今となっては良い思いでです。
私にとってのローラーズは、今でも元気のもと。
ずっとこれからも大切にしていきたいです。
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エミコさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

他の誰にもない私だけの想い出、その1、大大大好きなレスのポスターに毎日キスしてたら、
レスの唇のところだけ色が変わっちゃってものすごく後悔しました。
その2、文化放送の「輝け!BCR」で私のハガキがめちゃめちゃウケて、
当時ディレクターだった江川さんが椅子から落っこちたことは、今でも心の中で自慢です。

中学生の時、姉が自分の部屋にローラーズのポスター貼ってるのを初めて見た時は、
「なに、いい男が一人もいないじゃん」なんてバチあたりなこと思ったものですが、
高校に入ったらクラスにレスに似た絶世の美男子がいたことがきっかけで、
実に不純ですが、ローラーズにはまっていったのです。

LPやロックショウの発売日をいつも心待ちにしていたのは皆さんと同じ。
ただ、田舎暮らしなのでコンサートにはとうとう行けませんでした。
やはり「ギンザの恋」がきっかけで、このたびAMAZONでCDを買って毎日毎日聞いています。
私はもうエンジェルでもベイビーでもなくなったけど、聞こえてくるレスの声は甘くて可愛くて昔のまま。
あの頃はなんていい時代だったのでしょう。
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クイーン和子さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

中学のときからデレク一筋、周りの友達はもちろんほかのメンバーのファンばかり。
デレクのどこがいいのと言われつづけてきました。
でも私はデレクの顔とパワフルなドラムが大好きです。
この間上野のラサンゴというライブバーで、BCRのカバーが生で聞けるというので、
昔の友達で大のレスファンと行ってみたら二人とも大感激!

ちょっと焼酎を飲みすぎちゃったけど、ふたりぼっちの十代に戻った感じで、最高でした。
レスファンの彼女は、ボーカルの人があんまりかっこよくないって言ってたけど、私はデレクファン。
かっこよさは問わないさ。十分に楽しんだ一日でした。
今週の金曜日にまたBCRナイトがあるんだって。全国のデレクファン、
よかったら一緒に行って盛り上がらない?
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1965製ヒロ!さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

75年からのBCRオタクです。
基本的にギター弾きなので「子供っぽい」「ミーハー」「ロックじゃ無い」等と、
BCRを判断する方々とは視点が違います。
「クチパク」「生演奏出来ない」等の意見を述べていた方々とも違~います。

BCRの曲はビートルズ(大げさか?)同様素晴らしく、記憶から消去不能な音楽で、
小学校の頃からコピー(ギター)してました。男ですのでキャーキャーじゃ無いですが、
超ファンです。想い出を述べると・・・・アルバムは【76武道館LIVE】(ブートLP)が第1位! 
曲は【ドンストミュージック】【ドンウォリベイビー】【レッツプリテンド】がBEST3です。
当時は切り抜き等・・・も・・・「チョットマッテ」(レス風に)男だろう!!少ししてた。
しかし毎日ギター弾いてたな~っ。こういったHPを発見すると(入店者が同年代なので)
同窓会状態になるのが大好きです。昔レコードで聞いてた音楽は、今CDですが・・・

25年程前に(初恋の頃ですか)戻れますね。
今だに寝るときは(子守唄代わり)BCR!忘れられませんね~っ。最後に一言・・・
BCRをトヤカク言う奴(特に音楽的・楽曲分野で)俺も大のROCK好きだし、
中年?ですが(ブルース好き)「ミーハー」と判断するのは間違いです。
楽曲は本当に素晴らしいです。PS・チェックの衣類が多い(大半)のはBCRの影響。
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Woody-Stuwartさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

今年で31になる会社員です。
BCRとの出合は、レスリーがCXの「なるほど・ザ・ワールド」に出演したのを見てたのがキッカケでした。
その後、いろんな形でBCRは僕に至福の時を与えてくれてます。
ギン恋のBGMで全曲BCRを使用されたときは大喜びでした。
そのご、レンタルショップへ走り、CDを借りたのは云うまでもありません。
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yuzuhikoさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

エリックが大好きだった!中1の頃からロックに目覚め、クイーンを聴きまくってたんだけど、
ラジオのヒットチャートで、いつもクイーンの上を行くやつらがいて・・・
最初はいまいましく思ってたんだ。あ~~また、この歌だ~~!って。
それが、Saturday Night だった。
そのうち、気がついたらもうすっかり、BCRファンになってたんだ。
友達とタータンチェックのお揃いを着て、出かけたりしてた。楽しかったな~~。
今でも色んな音楽を聴くけど、BCRを聴くときだけは、ちょっと他のとは違う気持ちになれる。
楽しくはしゃいでた、あの頃のわたしに戻るんだ。エリックが本当に大好きだった。今でもね。
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Ego Tripさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

'76頃から、ファンでした。一番熱くなったのは、レスリーがソロになった頃かな。
辞める間際とその後は、めちゃくちゃかっこ良かった!今、何かとBCRブーム(?)ですが、
EGO TRIPの頃のレスリーが忘れられているような気がして、少し寂しいです。
タータンチェック捨てて、自分の信じる道を行く(行った)レスリーは人生の先生だったように思っています
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美子さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私にとってBCRは過去じゃなくて永遠なるものです。
みなさんの投稿を読んでいると胸がしめつけられる想いで涙が出てきます。
同じ想いを共有しているんだなぁって感激です。

でも、私、後悔していることがあるんです。
中学生の頃、必死で集めた特集雑誌や切り抜き・ポスターなんかをいつのまにか処分してしまって、
今、残っているのが少ししかないんです。ないと思うと、無性に見たくなるんですよね。
とっても残念で悔やんでいます。
でも、レコードとラジオやテレビを録音したテープは、あの頃のままです。
大好きなLESやPATの声を聴いては思い出しています。
テレビのテープを聴くと光景が浮かんでくるし、一生懸命だった自分の姿と重なるような想いがします。
まるで、昨日のことのようです。ビデオは91年に発売された76年のライブを持っています。
なんだか、時代を感じるビデオで、とっても懐かしいです。
キットカットのCMをやっていた時の下敷きは残っています。
忘れもしない、ダイエーのお菓子売り場のおばちゃんにもらったやつです。何枚ももらったなぁ。。。

いろいろ、思い出していくと、ホントにあの頃はBCRに夢中でした。
友達の友達っていう人にチケット譲ってもらって、ラサのコンサートに行きました。
壮絶な、修羅場のコンサートだったような。。。
一緒に行った友達とは今でも仲良しだけど、BCRの話しはほとんどしません。
あの頃のまま止まっているのは私だけかもしれませんね。
最近は朝、目覚めると何故か ♪ロックンローラー♪のWoodyのパートが耳に浮かぶ?んです。
とっても、せつない気持ちで、BCRの曲を聴いています。戻れないと分かっているけど、
あの頃に戻ってBCRに浸りたいです。
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Sumieさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私も多くの皆さん同様にRollersに洋楽の扉を開いてもらい、英語に興味を持ったひとりです。
今英語が仕事になっていますが、皆さんのメッセージを読んで、
自分のような人がたくさんいたことをあらためて実感。
きっかけは、ただRollersの曲を英語で歌いたいことだったんですよね。
それにしても、「ギンザの恋」で流れた曲をほとんど全部歌えたのには自分でもビックリ!
「マイ・リサ」は大好きな曲でした。

あの頃はRollers(特にLes)がすべてでした。
2回めの来日の時中学1年だった私はどうしても武道館に行きたくて、
学校の先輩を通じてやっとチケットを手に入れました。
友だち同士で行くことを母に許してもらえず、母と一緒に見に行きました。
2階の一番後ろの席でほとんど見えなかったけど、
同じ空気を吸っていると思っただけでどうしようもなく嬉しかったことを今でもよく覚えています。
あれから何度も武道館には行きましたが、あの時感じた想いはあの時だけのものだったと思います。
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メグさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私とBCRとの出会いは、高校の時に友人から借りた「青春に捧げるメロディー」
のアルバムを聞いてすっかりその音楽に魅了され、それからというものアルバイトしてアルバムを買いあさり、
学校を休んでコンサートへ行き、寝ても起きてもBCR!の生活でした。

NHKで放映されたBCRがスタジオで歌ってる姿を見た時にはもう歓喜の絶頂!
傍で一緒に見てた母までがそれ以来レスリーの大ファンに!バイト代で大好きだったエリックと
同じローラー・ギアを作って、それを着てコンサートに行ったものでした。
あの頃はただただ彼らに夢中で、恥ずかしいとか周囲の目を気にする事もなく堂々と
ローラー・ギアを着て電車に乗ったりしたものです。
とても近寄れない遠い存在だったけど、あれ程誰かの為に夢中になって何かをしたのは、
後にも先にもこの時だけだったかも知れません。

私の青春時代もまさにBCRに全身全霊を傾けて過ごした日々でした。
一度だけ目の前で見る事が出来たレスリーの横顔、そのまつ毛の長いあまりに綺麗な横顔は今でも
心の奥に深く焼き付いています。もしBCRの皆さんにお会い出来たなら、
「素敵な青春時代の思い出をありがとう!」と心!から感謝したい気持です。
また再び、BCRブームに火が付く事を願っています。
彼らの音楽の良さを今の時代にも是非、伝えたい!WE WANT ROLLERS!
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当時新潟に住んでいたゆかです。さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

エンジェルベイビーさんも新潟で当時コンサートを見たのですね。
私も、当時中学生で友達と行きました。私の周りにもデレクのファンの子は、いましたよ。
安心してくださいね。もう、あれから、20年以上立ってしまったのですね。
信じられないですが、あのころの懐かしい思い出が音楽を聴くとよみがえってきて涙が出てしまいます。
主人と娘は、夢中になっていっしよに歌っていると呆れているみたいですが、、、、

主人とは国際結婚で同じヨーロッパの人なのにBCRの事は、知らないようです。
寂しいけれど、、、自分の国のあのころ有名だったアバは、知っているのに、、、
でも私はどこに居てもずーと私の青春だから忘れない大好きなグループです。
あーいつか、あのころの皆といっしよにコンサートに行って騒ぎたい、そしてあのころのことを語りたい。
今、娘に言っています、好きなグループとかあったらいっしよにコンサートいこうね。と、、、、
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NOZOMIさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

きっかけは忘れてしまいましたが、中学一年の時が始まりです。
一番最初に買ったのは、その時出たての「グレイテスト・ヒッツ」です。
寝ても覚めても聴けるようにカセットテープにしました。
歌詞の意味を知りたくて小学校の卒業記念でもらった初級の英和辞典で、一所懸命調べていました。
(初級なので訳(やく)のわからない単語もたくさんあってチンプンカンプンだったような気がします。)

わずかなCMのためにTVのチャンネルを変えたり、毎日、新聞のTV・ラジオ欄に
BCRの文字がないかチェックしたり、チューニングに苦戦しながら
ラジオから流れてくる歌に耳を傾けたりしていました。
おこづかいはもちろん、LPや「ROCK SHOW」などの雑誌、
コンサートチッケト代に瞬く間に変わりました。本当にローラーズあっての私でした。

エジンバラに行きたい!、ローラーズが来日した時に通訳がしたい!・・
私の夢は大きく広がり、当然英語の勉強には力が入りました。
おかげで英語が好きになり、夢に一歩ずつ近づくはずでした。
しかし、現実はきびしかった!今は、ごく普通の母となっています。
上の子供があのころの自分と同い年になり、嵐(ジャニーズの)に夢中になっているのを見ると、
切なく、ほろ苦く、そして熱かったあのころを思い出さずにはいられません。
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とり♂さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

自分がBCRと出会ったのは77年の中学2年のときでした。
当時男でBCRが好きだと公言することはとても勇気のいる行為でした。
自分も当時は公言してはいませんでした。それでもカセットとかはかなりきいていました。
でも公言している人をからかっている当人がけっこうたくさんレコードとか持っていたりして、
なんとも不思議な存在でした。

中学3年のときに高校入試の試験勉強がきびしくなって、もっていたカセットなどを
一時床下にしまって勉強に没頭することにしました。
合格したらもういちどやるぞ。そう思っていました。
でもいざ高校入試がおわってみたら、BCRはすっかり消えてしまっていました。
その後洋楽好きの友達ができることもなく、自分のこの方面の趣味は
14才のままフリーズしたままになってしまいました。
あんなことはするんじゃなかった。大切な友達を床下に閉じ込めたそんな気がします。

1993年12月21日の70Sローラーズ(レスリーとイアンのバンド)の
クラブチッタ川崎公演は見にいきました(チケットの半券はいまでも手元にあります)。
ゲストにローリー寺西がでていました。クラブチッタは全席立ち見なので、遠慮なく前の方に行きました。
目の前で見るレスリーとイアンは意外と小柄に見えました。
コンサートは本当にすばらしかった。男性は少なかったけどちらほらいて、
彼らとともにデタラメ英語で演奏されている曲をくちづさんだりしました。

最近ドラマで挿入歌として使われているようですね。
プロデューサーは同世代でしょうか。またブームになればいいと思います。
そしてまたコンサートに行けたらと思います。
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じゅんこさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

中1になる息子が何故か中澤裕子さんの大funで、最近テレビで始まった
「銀座の恋」を見ていたところ流れる、流れる懐かしいmelody。
嬉しくなってしまいました。

思い起こせば20年以上も前のことになってしまいますが、タイトルばかりでなく、
歌詞も覚えていて、歌えるのにはびっくりしてしまいました。
woodyが大好きで、日本に来てくれたときも、岡山武道館に見に行きました。
後に発行された雑誌に、岡山公演は最悪のものだったらしきことを書かれていて、
すごくショックを受けたことを覚えています。私にとっては最高の1日だったのに・・

それからイアンの加入、パットの加入とBCRにも色々な事が起こったように、
私も高校受験、高校生活と慌しい日々を送るにつれて、聴くことも少なくなり、
たまに見るテレビで(あの人は今?系の番組)昔を懐かしく思っていただけでしたが、
乾杯ラガーに始まり、今回のBCR三昧の「銀座の恋」で、私の思いは募っていくばかり・・

週末にはBCRのCDを求めて、息子とレコード屋さんに行ってきます。
(当時のレコードは大事にとってありますよ。もちろん)
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yo-koさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

偶然このサイトをみつけました。
なつかしいなー!ここにあたしと同じ気持ちの人がこんなにいるんだ!ってとてもうれしくなりました。
あれからもう20年以上たってしまい、自分の娘はジャニーズなんぞに夢中なんだけど、
つい、応援したくなっちゃう・・あの頃の自分がそこにいるから。
母にジーンズにタータンチェックを縫い付けてもらったり・・・・
woodyと同じ白地にオレンジでWって編み込んであるセータも作ってくれたっけ・・
自分も母になり、もうあの頃には戻れないけど、
でもあの頃はいつまでも私のなかで輝き続ける宝物です。
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makoさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

彼らに出会ったその瞬間のトキメキは今でも忘れはしない。まだ小学生だった...
洋楽にそこから入り込み色々な音楽とも出会えた。
英語の教科書はもちろん彼ら青春なんて言葉を耳にするたびBCRを思い出す。
それ程夢中になれた思い出夏休みの社会の宿題、好きな国を取り上げ調べるなんてことで
イギリスは『エジンバラ』を選んで図書館に通い必死になって調べた事・・・・
ラジオのアンテナを必死にあっちこっちとノイズを気にしながら聴いていた『輝け!BCR』あれから何年たったんだろう。
そしてこのHPに偶然出会えた。たくさんの方の声を目にした時、彼らに初めて出会ったあの時が蘇ってきた。
何年たってもけして忘れることのない思い出これからも、いつまでも。
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小島久美子さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私は初来日の頃から、ズ~トレスとパットのファンでした。
今でも全部口ずさめます。レスのロンドンとハワイのツアー行きました。
今では二児の母になり子供に誰~レスって、、言われています。
私にとってローラーズはまさに青春そのものでした、追っかけもいっぱいしたし、
伊丹さんにもずいぶんお世話になりました、友達とエジンバラのパットの家にも行きました、
思い出してとても懐かしくあの頃の熱い思いがこみ上げてきます。
私たちのローラーズは永遠です
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春美さんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私がローラーマニアになったのは、皆さんより遅くって78年頃でした。
当時私は19歳で、BCRの事はもっと前から知っていたんですが、
なんか人気がありすぎたので、あえて無視していたんです。
ところが偶然ロックショウを見たときLESに一目惚れしてしまいました!
すぐにミュージックテープを買って毎日聴きまくり、寝ても覚めてもLESばかり...

そのころ、ロック専門に聴かせる喫茶店(アマチュアバンドの人がたくさんバイトしていました)
やライブハウスによく行きましたが、20代のバンドをやっている人たちは皆、
BCRのことをバカにしていて悔しかった。
いまこうして、JCRをはじめ大人の人たちが真剣にBCRの曲を演奏してくださるのがうれしくてたまりません。
BCRほど、実力を不当に低く評価されたバンドも珍しいと思います。
女の子のファンが多い=アイドル=くだらない←短絡的すぎます!
でもこうやって、何十年とBCRにはまっていられるのは彼らが本物の証拠です。
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エンジェルベイビーさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

ローラーズを知ったのが小学校6年生の時。
父から買ってもらったラジカセから流れてきたのが「エンジェルベイビー」。
その時は初めて聞く洋楽だし、「へー・・いい曲だなー」くらいしか感じなかったんだけれど、
それからいつでもラジカセを付ければ「バイバイベイビー」や「エンジェルベイビー」が流れていて 
何時の間にか知らないうちにベイシティローラーズってどんな人達だろう・・・って思うようになり、
本屋さんでミュージックライフを見つけ開いたら「タータンハリケーン日本上陸」
と書いてありそこには「一番人気はレスリー」と、書いてありました。

私はその中のデレクに一目ぼれ状態でした。それ以来デレク一筋。
新潟公演の時、ローラーズギアを作ってもらい背中に大きくDEREKと入れて行きました。
でも、そこでは「ねぇ・・見て見てデレクだって」と批判する声ばかりが私に聞えてきました。
私は心の中で「何言ってるのよ、デレクがみんなをまとめてるのよ」と強がりを言ってました。
ローラーズのファンならメンバーの悪口言うな ! って感じです。
あの人達は今もずーっとローラーズのファンで居るんでしょうか・・。
今もファンである事を祈っていますが、お願いです。
デレクもローラーズのメンバーなんですから悪く言うのはやめてーーーーーーーーーね。
でも、これを読んでくれる人達にはそんな人は居ませんね。

私はもうすぐ40歳。28年間私を支えてくれたローラーズ。
もちろんこれからも私を元気にしてくれるローラーズ。
ローラーズばんざ~い \(^o^)/。デレクは私のかけがえの無い人でーす。(^○^)
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かつやさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

はじめてベイシティローラーズの曲を聴いたとき,ビビビっときたんだよね!
あれは,初めてラジカセをかったときだった,兄の影響で偶然聞いたあの一曲,
二人だけのデートこれは,僕の右脳に一撃,重低音から始まる,あのメロディー今聞いても、しびれてきます。
あの時買い揃えたアルバムは,擦り切れるほど聞いたけど,今も時々聞いては,懐かしんでいます。
復活を楽しみにしています。
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ラズベリーさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

小5からファンです。今35歳で3児の母です。
Rollersは私の人生のすべてでした。
お陰で英語の職にもつけ世界中を見てきました。でも自分が23歳の頃毎日面白おかしく暮らしていても
(あのときの彼らと同い年。こんな自由があったのだろうか。)気になりました。
しかし、こうして元気なかれらの情報がすぐ手に入るのだから。
むかしよりみじかになったのかも。

25歳のとき念願のエジンバラ旅行は見るひとすべてがレスに見えたり、
スコットランド訛りが懐かしく感じました。
先日、身内に急な不幸があり落ち込んでおりいろいろなCDをかけました。
でも何かが違うのです。そしてBCRのテープを聞いてやっと心が落ち着きました。
3日毎日きいていました。そして今日だめもとでページを開くとこうしてお会いできたのです。
ファンのかたがたと、、、日本のBCRのファンって世界1だと思いませんか?
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BONOさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

この頃懐かしい曲がいろんな所で流れていますよね。
そんな時、やっぱり大好きだったローラーズのことを思い出しちゃいます。
4年くらい前に実家が引越しをして、置きっ放しにしていたローラーズのレコードやカセットを引き取ってきました。
『輝け!ベイ・シティ・ローラーズ』とか、日本公演のライブテープとか、
全部で80本以上はあると思います。

あの頃は低機能のラジカセしかなかったので、音は悪くて、とても聞けるものではありませんが、
一生懸命だったんですよね~。あれほど夢中になって、
今でも心が熱くなるローラーズって、やっぱり偉大ですよ。
『すてきな君』が大好きで、何百回聴いたかわかんないくらいです。

今手元に、1977年に来日したときにフジテレビで放送した
スタジオでのライブのビデオがありますが、今では家宝にしています。
悲しくてどうしようもないときにだけ見るようにしているんですが、
一緒に歌って、泣くと不思議なくらいすっきりして、元気がでるんですよ~。
中学2年生のあの頃と同じ気持ちに戻れることなんて、他にないですよね。
コンサートにも一度だけですが行くことができて、
ローラーズを自分なりに100%感じることができて大満足でした。

今になって、昔のことを思い出して、熱く語ることができるなんて夢のようです。
『私も好きだったよ。』という人はいますが、もう過去の話といった感じ。
私もちょっと恥ずかしくて、多くは語れませんでした。
でも、このサイトでは当たり前なんですよね~。
なんだか嬉しさと切なさが入り混じった妙な気持ちです。
こんなにたくさんの方が昔の気持ちを持ちつづけているなんて、すごいですよね。

私も頑張らなくちゃ!また今度懐かしい思い出をいろいろお話したいと思います。
たくさんあるんですよ。これが・・・。
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KEMIさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

もう、まもなく20世紀も終わろうという時に自分としては本当に驚く程、
ぐうぜんにBCRについてこうして投稿しようと書き込んでいるなんて・・・。

それほど、申し訳ないほどにBCRに熱中していた中学生時代がすぎた後は、
すっかり記憶の彼方へと追いやっていたのです。
高校1年の時に埼玉から京都へ転校した事で環境が変わって
そこには埼玉の様にBCR狂いという人達が全くいませんでした。
外国の音楽にははまっていきましたが、逆にBCRの音は少々幼稚に聞こえたりしてしまって?!
MTVが主な情報源で一生懸命見ておりました。

だけど、私の原点はやっぱりBCRなんだ、と今更自覚した次第です。
なぜかHPでBCR関連を検索してみてこんな素晴らしい仲間がBCRについて語りあっておられたとは
(それも読めば自分でも共感してうなずける事ばかり)知らなかった!
先週、BCRのBESTCDを買いました。
私の大好きだったIanのVocalによるDedicationを始めとして、なつかしくてなつかしくて。
なぜ一時期頼りない風に聞こえたりしたのか。
全力でひとつの事に打ち込んだあの頃が一番大好きです。
原点に返った感がする今再び彼らを見つめていきたいと思っています。
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ようよさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私とローラーズとの出会いは、76年の初来日の時。
当時小5でした。若い頃からロック好きの母から、すごい人気のグループが来日したと聞きました。
「ファンが失神しちゃうんだって!」って。
どんな人たちなのかなーと、雑誌を見てみると…「えー、なんだこれ~」。
子供だった私には、青い目、ブロンドの髪、彫りの深い顔は違う星の人に見えました。
でも、NHKの「ヤングミュージックショウ」でライヴをやると知り、
まあ、どんなか、とりあえず見てみることにしました。

始まりました。ステージには真っ白いドライアイス。
登場した5人のメンバー。グラビアで見るよりずっと親しみのある笑顔、
ステージを飛び跳ねるように楽しそうに歌い、演奏する彼らの姿、
そしてそして何より素敵な音楽…。
ロックは(洋楽自体が)私にとって未知の世界でしたが、そんな私にもの凄い衝撃を与えたのが彼らでした。
一瞬にして、私は彼らのファン(というより゛とりこ゛)になっていました。
一緒に見ていた母、兄、妹も同じだったようです。

最初、私の心を動かしたのはパットでした。(やっぱり子供に一番近かったからでしょうか)
「私、あの人がいいな」。とりあえず宣言しとかないとね。
さて、番組も終わり、呆然としたまま私は兄に雑誌を見せ
「お兄ちゃん、私がいいって言った人、どの人?」兄はしばらく考えていました。
パットを探していたのですがどれだかわからないようでした。
それもそのはず、そのグラビアはイアン時代のものだったんです。
兄は考えた末「この人だよ」。私は兄が指したその人を見て
「へえ、この人かぁー。写真で見ると、ちょっと違うけど…ウッディーっていうのかー!」
何も知らない私は、その日からウッディーファンになったのです。

それからは3兄妹で、寝ても覚めてもローラーズ一色。(ちなみに兄=レス、妹=パットファン)
パットとウッディーの違いに気づいたのは、それからしばらく後のことでした。
でも、時すでに遅し。もう私はウッディーひとすじ。
後へは引けない、筋金入りのファンになっていたのでした…。
こんなふうに私は彼らと出会い、あれからもう20年以上がたちました。
途中、JAPAN、ヘヴィメタ、ユーロビートと浮気を繰り返し
(あ、でも同窓会コンサートには、ちゃんと行ってましたよ)
そしてまた帰るべき場所に帰ってきました。
ローラーズを語らせたら一冊の本が書けてしまう…
それくらいたくさんの思い出をくれた彼らは、いつまでも色あせない、私の大切な宝物。

そして、いまだに彼らを応援しているローラーマニアがこんなにたくさんいるという事実も。
この゛同士たち゛も、私の宝物です。
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やまんさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

私にとってBCRとは????たくさんのいい曲とたくさんの思い出をありがとう。
って感じですかね。

私がBCRを知ったのは、姉の影響でした。
当時私は小学5年生だったかな?お金のない私は、姉が買ったレコードをカセットテープに
録音(当時、家には古いステレオしかなくてレコードかけることしかできなかったんですが、
スピーカーの前に自分のラジカセ置いて、両親には静かにしてっ!!って言って録音してました)
して、聴いていました。

私と姉とで、BCRのアルバムは全て持ってましたね。
あと、雑誌(主にROCK SHOW)の切り抜きを下敷きに挟んで、
学校にもっていくと周りの女の子が見せてっ!!って寄って来ましたね。
男の子の間ではあまり人気がなかったようでしたね。

最近、無償に聞きたくなるんですが、レコードプレイヤーが壊れてしまった時に
レコードを全て処分してしまいました。
オリジナルアルバムのCDは今でも手に入るのでしょうか?
レコードショップで見かけるのはベスト盤ばかりで、もっといい曲があるのにって不満に感じます。
一番聴きたいのが当時はなんだ?って思った「風のストレンジャー」です。
私も大人になったのかな?「雨のニューヨーク」等いい曲があったと思います。

ちなみに姉は、イアン、パットの可愛い系が好きでしたね。
私は断然レスリーが好きでした。
あの甘い声と体育会系の元気なステージアクションが最高に良かったですね。
みなさんも書いてますが、BCRからは「元気」をもらいました。
「本当にありがとう」としか言いようがないです。
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リノさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

出会いは中一の時の深夜放送の「サタディ・ナイト」ガッツーンと殴られたような衝撃でした。
レスリーの大ファンで、夢中で彼の声に聞きほれていました。
沢山のマニアたちとの出会い、もう私の青春そのもの!
曲を聴くと今でも当時に戻ってしまって、涙が出てしまいます。

いろんなことがあったなぁーパワーや元気を沢山もらいました。
ロック・ショウのペンパルコーナーで知り合った、
アトランタ在住の日本人のウディファンの友人、、、。
彼女とはローラーズが薄れていったあとも、20年間も友達でした、
来日時にはあったりしてましたし、ローラーズのアメリカでの放送をテープに録音して送ってくれたり、
青春の思い出を一緒につくった感じでした。

が、2年半前にガンに倒れアトランタでキャリアウーマンしてましたが、亡くなりました。
お母様からお手紙が来て、山のようなローラーズのコレクションと
沢山のマニアとの手紙、CD、ロック・ショウ、、、。
「娘にとっては良い思い出だったようです」書いてありました。
こうしてローラーズの思い出を書き込める私はただ運がいいだけなのかもしれない、、、。
ローラーズ!沢山の出会いをありがとう!そして最後に直接本人に言えなかった事、
「沢山のいい思い出をありがとう、なおこ、、、」

彼女が大好きだった曲「青春に捧げるメロディー」を捧げます!
ごめんなさい、泣いちゃいそうだ、、、。
楽しいカキコなはずなのに、すみません。
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アッコさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

最近の若者にBCRの話をしても「なにそれ?」みたいに言われて、
全然話にならなくってなんだか自分がすっごく年取ったようなきがしてあまりしなくなったけど・・・・
この投稿文を読んでそうそう!って久しぶりにワクワクしました。

私とBCRとの出会いは、中学2年のとき、友達がウディー命の子で
「いいからこれ聞いてみて!」って聞いてみたのがはじまりでした。
あのレスリーのステキな声、心にひびく音楽、そして英語がよく解らなかったので
日本語の訳しをみてその詞に感動したこと。。。。
もうそれからは、レコード買いまくり、ロックショウという雑誌を読みまくり、
あけてもくれてもBCRでした。

何年か前にBCRのCDが発売されましたが、残念ながら私は手に入れることが出来ず
レンタルで借りてテープにダビングしましたが、今でも手にはいるのでしょうか?
時々、TVで曲が流れるのを聞いて懐かしくおもい自分のテープをひっぱりだして大声で歌っています。
いまでも歌詞覚えているものですね。
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cocoさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

二度目の投稿になります。
今も、ローラーズファンがこんなにもたくさんいることに感激してます。
こうして、あの楽しかった思い出をシェアできる相手がいることは何よりです。

今でもキットカットを食べるとき、彼らのコマーシャルを思い出します。
♪Kit Cut,Yes,I really dig it! 覚えてますか?
当時、ビデオがなかった我が家では、テレビとカセットレコーダーを繋ぐ線を買ってきて、
コマーシャルタイムをひたすら待ちつづけて、録音しました。
(今でも持ってる)実は、そういう点ではコアな私。
ローラーズ関係で言えば、ロゼッタストーンも我が街にきたときは、
何とAMラジオでインタヴューがオンエアされ、それを親切にも希望者にダビングしてくれたんです。
(もちろん、それも持ってる)皆さんに、聞かせてあげたいです!!

そして、これは、もう時効でしょうから、言っちゃいますが・・・
実は、スカートの中にミニカセットレコーダーを仕込んで、
コンサートの音もとっちゃたのがあるんです(ここだけの話しですよ。)
ほんと、皆さんに聞いていただきたい。エリックが日本のファンにサービスで歌った
「さくら・さくら」は、口パクだったのは、印象的であり、残念ですが・・。

あ、それから、 この間の投稿の中に間違ったことを書いてしまいました。
ローラーズの応援歌を歌ったのは、「ベイ・シティ・フェロウズ」でした。
ごめんなさい!!!では、皆さんの思い出もじっくり読んで楽しませていただきます。
KEEP ON ROLLIN'

PS ローラーズのオフィシャルファンクラブは、
あの時どうして、最終的に結成できなくなってしまったのでしょうか?
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cocoさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

みなさん、はじめまして。
最近パソコンを購入して,やっぱり懐かしというよりも、
今でも私の中では輝きつづけているのが、BCR。
彼らのコンサートに行くために衣装も同じ物を作ってね。
今でも、彼らの曲は、空で歌えます。私に英語を教えてくれたのは何と言っても、彼らです。
そして,ほかのアーティストにも興味を持たせてくれたのもそう・・・
色々と人生,楽しいことをおしえてくれたなぁ。

実は,私,ローカルFM局でパーソナリティをしています。
番組のキャラも合って、中々全面的にローラーズをかけるわけにはいかないのですが,
やれるときバンバン、私の独断と偏見でかけさせてます。
とある局のとある番組は,懐かしいLPレコードをかけているのですが,
そこでは,お構いなしにおりを見て、ローラーズのレコードをセレクトして,思い出とともに語っています。

ところで,皆さんは,ローラーズの来日前に、応援歌がリリースされていたのをご存知ですか?
私は,そのシングルを持ってます。 
「ローリング・フェロウズ」というグループが歌ってたもの。
おぼえてますか?練習いっぱいしたのに、結局,誰もコンサートでは歌ってなかった・・・
ま、もっともっと思い出があるんだけど。又にします。
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chakoさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

わたしがはじめてベイシティローラーズを知ったのは中学2年の夏、
学校からかえって何気なくTVのチャンネルをまわしていたら
どかーん!とまさにハマってしまったんですね。その映像に。
忘れもしないNHKのBCR『SHANG-A-LANG』でした。

部活から帰ってきて制服も着替えずに、ただただずーっと見入ってましたっけ。
そして番組が終わったあと、なんと生まれて初めて番組にハガキを書くということに・・・。
そうです。きっとこのカキコミの方々にもいらっしゃると思いますが、
天下のNHKに(!)当時の中2の学生がリクエストハガキなどと勝手に係り名をつけて、
番組の再放送を力いっぱい思いをこめてお願いのハガキを投稿したのでした。
そう、季節的には丁度今ごろでしたっけ?ちがうかな・・・?

もう本当に遠い記憶ですが、その日のことは今でもキラキラ輝く思い出です。
それからの数年間、怒涛の初来日やパットの脱退、アランの復活や再来日、
そして悲しくも現実となってゆく人気のカゲリ・・・。
本当に色々考えたり、感動したり、泣いたり、失望したりとまさに青春でした。
でも、何があっても忘れないのが彼らをはじめて知ったあの瞬間です。
わたしに英語や海外への興味を持!たせてくれたり、
音楽の楽しさを知るきっかけとなったあの日が今のわたしの原点のような気がします。

今30代後半になって、好きな英語の仕事でごはんが食べていけるのは、
本当に彼らのおかげなのです。外国人タレントなら誰でもよかったんじゃない?
と人から言われることもありますが、BCRだからこそなんです。
彼らの歌には本当に『楽しさ』があったから。
人がなんと言おうと私は彼らのメロディーラインや歌詞そのものがとっても好きです。
大人になってJAZZやラテン、フュージョンなども含めて色々音楽は聴き、
そして好きになりましたが、今でも一緒に口ずさんで胸があたたかくなるのは、 BCRの歌なんですねえ。

う~ん、特に『噂のベイシティローラーズ』という邦題のアルバムかなあ。
先日、ひょんなことからその当時の『SHANG-A-LANG』のDVDソフトが発売されたことを知り、
狂喜乱舞してしまいました。何せ、プレーヤーもないのに先にそのDVDソフトを買ってしまったのですからね。
本当に感動です。私にとってのBCRとの出会いになったあの映像が、当時14インチのテレビで
小さくなっていたあの映像が、エリックやレスリーの笑顔、
ウッディのあどけなさが最新の技術で私の目の前に蘇ったのです。
と同時に少し忘れかけていたあの日の情景が一気に思い出され、
気がつくと目頭から涙がポロポロこぼれていました。
すべてが懐かしく、そして今につながる原動力となってくれたBCRはかけがえのない存在です。
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ひろりんさんの想い出
Date:⌚2001年頃の投稿

みなさんの投稿読んで、涙が出そうです。
私もそう、Rollersがすべてだった!当時中学生だった私は、
いつかEricにあったときお話できるようにって、そりゃ、必死で英語の勉強しました。
生まれて始めて学校さぼって広島から大阪の府立体育館までコンサートにも行きました。
(もち、タータンチェックに身を包み)あの時の感動は忘れられない。
いっぱいいっぱい涙がでた。
Rollersと同じ時間を過ごしてる、同じ空気をすっている・・・

時は流れ、子供3人を怒鳴り散らす毎日を過ごしてる私。
でも、時々、TVのBGMなんかでRollersの曲使ってるのを聞くと、
即、タイムスリップしてあのコロの私にもどっちゃう。
いまでもちゃんと英語でうたえる。(そういう曲だったから好きだったんだよね。)
そのBGM使ったひともきっとRollerManiaなんだわってすっごく親近感覚えるよね。
RollerManiaって、自分に英語の名前つけてたでしょ?おたがい、
こてこての日本人顔で、英語の名前で呼び合ってたの。(ちなみに私はMelissaなんてつけてたよん)

ひえ~なっつかしい!です。
その後、EricからIanに鞍替えした私ですがRollersもRossetaStoneもずっと好きだった。
でも、私の場合、おじさんになってしまった彼等を見るとちょっと悲しくなっちゃうので、
思い出の中だけで、彼等を愛していくことでしょう。なんてね。
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PS-10さんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

貴女にとって・・・すみません、まだ20代の野郎です。
でも小学校に入りたての頃からキッスが大好きでよく従姉妹の部屋で聴いていました。
そして23年間経った現在も異常な程大好きです。
い、いかん、BCRの話だっけ・・・。

その従姉妹の部屋にキッスと一緒に張られていたポスターがBCRだったのですが
当時はまことちゃんの様に(解ります?)キッス一筋だったので
タイムリーには残念ながら周りが異常に騒いでいた程度しか経験していないのです。
(全盛期が見たいです・・・・。)当時印象に残っている思い出は近くに
某生命保険会社がありそこの社宅に当時6才とたしか中二の姉妹が住んでいて
その6才の子と仲良しだったのですがその中二のお姉さんが
ローラーズファンでよく遊びに行くとキッスを馬鹿にされて頭に来て
ローラーズの悪口を言い返していました。
(未だファンでこの文章見ていてくれたらスゴイんですけど。まさかね・・。)

それから約十数年経ったある年、その従姉妹がアメリカに住む事になり
所有していたBCRグッズをどっさりと引き継いだのが本気で聴きだしたきっかけです。
レコード類はなかったのでそれからは手に入るレコードは全て買い、
元々キッス等、ブートも大好きでしたので必死に探して
全盛期の4枚をやっと入手して体験出来なかった全盛期のカケラを楽しんでいます。
自分にとってBCRはキッス同様決して過去のものではなく、
その証拠にこのディスプレイの後ろではキットカットを手にした四人のポスターが誇らしげに貼られていますから。
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ちいままさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

親友がウッデイのファンだったことからだんだんBCRにノメリこんでいきました。
当時、ミーハーだのグルーピーだのオッカケだの何だかんだ言われましたが、
レスリーが本当に好きだったし、歌が何より大好きでした。
趣味や嗜好までべったり真似た時もあったし、レスリータータンファッションしか着ない時もありました。
そりゃ全国追っかけもしましたが、その地方地方で友達もできたり、
1人で旅行(追っかけ)するってことで自立心もそうとう養われました。
コウジテ、何ヶ月も外国放浪したって平気な人間になりました。

30を過ぎた今でも、歌を聞いて泪したり、思い出にふけったり、私にとって素敵な青春の記念碑です。
が、なぜか英語の成績だけは悪かった。
未だに英語は不得意。
エジンバラに行っても昔の本の切り抜きの地図であれこれ探索して感動しただけで、
何か新しい情報なんてものは得られなかった次第。
あ、プレスリーが亡くなった時、レスリーが亡くなったのと勘違いして(朝刊で知った)
学校もサボって布団にコモって世界の破滅を感じてました(笑)。
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Romiさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

皆さんの熱い思い読んでいて涙が出そうになりました。
私も同じです。曲を聞けばあの頃(私の場合高校生です)にタイムスリップです。
来日に備えバイトに明け暮れる毎日。
滞在中にちらっとでもみれるかどうかの為にホテルやTV局の前で一日中待ったり、
その頃のすべてでした。

そして今も、再結成だの、同窓会だのと、来日するたびなぜか見に行ってしまう。
ここまで長い付き合いになると思わなかったけど、メンバーと共に成長しながら、
ここまでこられて幸せって思えるようになりました。
もちろん素敵なファン友達とも出会えて、ローラーズファンで良かったと思ってます。
私ももちろんロックショウや写真捨てられません。今となっては宝物です。
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ポーリンさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私が初めてローラーズを知ったのは、郷ひろみが「バイバイベイビー」を歌っていて、
その元歌がローラーズと言うことで、ちょうど、高校3年生頃だったと思いますが、
初めて、セブンティーンか、明星か平凡で写真を見ました。
そのときは、何で、こんなのがいいの?なんて思ったのですが・・・・。
(そのとき、私は野口五郎のファンでした。)洋楽など、ほとんど知らず、
ビートルズにようやく目覚めていたころだったのです。

でも、その後、どうしてか知らないけど、ローラーズに惹かれていき、
高校3年の終わりにはすっかりローラーマニアでした。
ちょうど、来日もあり、コンサートに行きました。WOODYの大ファンでした。
でも、今思うと、やっぱり、レスリーの歌声が好きでした。
イアンも好きで、ロゼッタストーンのコンサートにも行きました。
2000年は来日もある?とのことでとっても楽しみにしています。

これからもよろしく。
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Tomokoさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

中1の冬、クラスの男子が教室にてんとう虫のレコードプレーヤーを持ってきて、
「これ、すごくいいから聞いてみぃ」とレコードをかけた。
S,A,TUR...とシャウトするその曲に、洋楽など全く知らなかった私は
往復ビンタをくらった様なショックを受けた。

そしてタイムリーにローラーズが初来日。関口宏の”スター千一夜”(ひぇー懐かしい)
で初めて動く彼らを見て、どうして好きにならずにいられようか。
その時私は青い瞳のERICに一目惚れしまったのだ。あの頃は、
ただERICのお嫁さんになる事を夢見てレコードを聴き、
英語をがんばり、海外へと目を向けた。

彼らに出会えたからこそ、今の私がある。
今でもローラーズの曲を耳にすると、青春の真っ只中にいる自分に戻り、
胸がキュンとなってしまう。ERIC,あれから月日はたち、私も嫁に行ってしまいました。
あなたは結婚したのでしょうか。
誰か教えてください。

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2024年3月23日(土) 01時23分04秒〔243日前〕